アカデミー賞の受賞者であり、ハリウッドのアイコンと言えば、アンジェリーナ・ジョリー。
女優としての活躍のほか、人道主義者として長年難民問題や平和構築の問題にも力を注いできています。
きっかけは2000年に映画撮影のためカンボジアを訪れた事。
短い期間でしたが、現地の美しい大自然や住民たちの優しく素直な性格に感動したと同時に、未だに地雷が爆発するかもしれない危険の中で子どもたちが生きているという事実にショックを受け、自分に何か出来ることはないかと考えたそう。
そして帰国してすぐにUNHCR (The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees:国連難民高等弁務官事務所) に自分自身で連絡をしたとの事です。
これを機に難民支援に携わるようになり、この活動を自分の慈善心を見せるパフォーマンスとしてではなく、人生のキャリアの一つとして力を注ぎ始めました。
アンジェリーナ・ジョリー生い立ちとデビューまで
1975年6月4日、カリフォルニア州ロサンゼルスで俳優のジョン・ボイトと女優のマルチェリーヌ・バートランドの間に生まれました。
10代前半にリーストラスバーグ劇場研究所(Lee Strasberg Theater Institute)で学んだ後にニューヨーク大学に通い、そこで映画製作と執筆を学びます。
しかしその後、葬儀の監督(アメリカでは、葬儀のコーディネートをし、遺体の保存、埋葬、火葬などに関わるプロフェッショナル。全国試験を受けて州ごとにライセンスを獲得しなければならない)になることを目的に勉強をしていましたが、再び演技の道へ。16歳でプロとして演技すること決め、1993年にデビュー。
そして1998年に公開された『ジーア/悲劇のスーパーモデル』でエイズとドラッグにより短い生涯を終えた実在のモデル、ジア・キャランジを演じ、数多くの賞とノミネートを受け、知名度を一気にあげました。さらに翌1999の『17歳のカルテ』ではアカデミー助演女優賞を受賞し、実力派女優としての地位を確立。
大ヒットとなった2005年の『Mr.& Ms. スミス』で記録的な興行収入をあげるなど、30代前半にしてアメリカでもトップクラスのマネーメイキングスターに。
それ以降も多くの映画に出演し、数々のノミネートや賞を獲得しています。
監督としてのアンジェリーナ・ジョリー
監督としても2007年にデビューし、その作品達は彼女の内を感じられるものばかり。必見の作品ばかりです!
最初の映画は、世界中の20を超える国の人々の日常生活を観察するドキュメンタリー「A Place in Time」。
この映画の目標は、他の場所・国で生活する上で似ている点や異なる点への理解を深めてもらうこと。
同じ瞬間に世界の多くの場所で撮影することにより、世界中の生命の多様性と人間の精神の類似性の両方を捉えようとする実験的な作品となりました。
その後、2011年には社会派人間ドラマの長編映画 『最愛の大地』(In the Land of Blood and Honey)を監督。
ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞にノミネートされました。
1990年代に泥沼化したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を舞台に、恋人でありながら内戦により敵になってしまったボスニア人女性とセルビア人男性の愛の行方を描きます。
紛争下の性暴力に対する国連の無策ぶりをこの作品を通じて世界に訴えた、政治的なメッセージがみなぎる意欲作。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を背景にした物語は、セルビア系ボスニア軍の捕虜になったムスリムの女性たちが、基地に監禁され蹂躙された史実を下敷きにしており、戦時下において、女性が道具としかみなされない状況を伝えています。
それ以降も3つの映画を監督。
日本軍に捕らえられた青年の「人生地獄めぐり」をクールな目線で描写した、戦争捕虜が主人公の作品、『不屈の男 アンブロークン』(Unbroken)、2014年。
ヒレンブランドによる伝記に基づく実話です。
第2次世界大戦で日本軍の捕虜となったオリンピックアスリートの半生を感動的に描いた戦争ドラマ。
陸上競技の選手から空軍パイロットとなった主人公が、日本軍の捕虜収容所で虐待を耐え、生き抜く姿を活写。オリンピックの栄光から一転、戦時のただならない状況で懸命に生きた男のドラマに、胸が熱くなるストーリー。
日本軍の捕虜に対する虐待描写がある、という話題が先行し「反日だ」などとネットで叩かれもしましたが、特定の民族を悪しざまにミスリードするものではなく、理不尽な暴力がまかりとおる戦争の本質に触れた描写をしています。
そして2015年には今までとは違った作風の、地中海に浮かぶ島・マルタ共和国のゴゾ島を舞台にした『白い帽子の女 』(By the Sea)。
交際のきっかけとなった『Mr.&Mrs. スミス』以来となる、ブラッド・ピットと共演のラブストーリー。
1970年代の南仏を舞台に、あることがきっかけでそれぞれの殻に閉じこもった夫婦の関係を映します。
まるでフランス映画の様な映画であり、アンジェリーナ・ジョリーの様々な側面を映し出した力作。
2017年にはカンボジアが舞台の『最初に父が殺された』 (First First Killed My Father)。
クメール・ルージュ支配下のカンボジアで過酷な少女時代を送った女流作家で、人権活動家・ルオン・ウンの回想録「最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を越えて」を映画化したNetflixオリジナル作品です。
アカデミー賞外国語映画賞のカンボジア代表に選ばれました。
アンジェリーナ・ジョリーは2005年からアメリカとカンボジアの二重国籍を所持しており、劇中の言語はカンボジアの公用語であるクメール語。
家族の離散、労働収容所での悲惨な生活、子供兵士としての訓練…少女の目を通しながら様々な事を語られる作品です。
アンジェリーナ・ジョリーのその他の活動
2003年には書籍『Notes from My Travels: Visits with Refugees in Africa, Cambodia, Pakistan and Ecuador』を出版。
2001年にUNHCRの親善大使に任命された後、シエラレオネ、カンボジア、パキスタンを視察のために訪れ、翌年さらにナミビア、タイ、エクアドル、ケニア、コソボの5つの国と地域にも訪問しました。
親善大使として人道支援活動の現場をただ通り過ぎるのではなく、ありのままの現実を自分の目で見て、そして現地の人々の声に耳を傾け、そして訪問を通して感動し、驚き、また悲しく感じたこと全てを日記に残し他のがこちらの本なのです。そして、その売り上げを全てUNHCRに寄付しました。
現場視察に加え、国際的な外交の場でも、世界中の難民問題への意識向上を呼びかけています。
同時に寄付という形でも貢献しており、2001年からこれまでに総額500万米ドルを寄付。
また難民への一時的支援だけでなく、長期的且つ根本的解決策にも関心を寄せており、2003年には養子マドックス君の名を取った基金プロジェクト「マドックス・ジョリー・ピット基金プロジェクト」を立ち上げ、2005年には「難民と移民の子どもたちのためのセンター」と「弁護を必要とする子どもたちのための組織」を立ち上げ、開発、教育、医療、法律など様々な分野で支援を提供。
また、彼女は6人の子供の母親ですが、3人はカンボジア・アフリカ・ベトナムからの養子縁組です。
人道支援の現場へ40回以上赴き、難民・避難民となった何百万人もの人々の苦しみを伝え、保護を訴えている彼女。訪れた場所の中には、シリア、イラク、パキスタン、ヨルダン、アフガニスタンなど命の危険を伴うような場所も…。
支援現場では出来る限り難民の声に耳を傾け、その現状とニーズを把握しようとしているそう。
女優としての知名度や影響力を、より多くの人たちを助けるために活用したいと願っているというアンジェリーナ・ジョリーからは、人として見習うべきところが数多くあります。
ハリウッドスターとして色々と言われる事も多いですが、今後も女優としてだけではなく、注目していきたい女性ですね。