花より男子は海外でも大ヒット。でも実は1995年に映画化されていた⁈

神尾葉子原作の少女漫画『花より男子』は、2005年、2007年にドラマ化されて大ヒットした作品!もう10年以上も前なのに、今も強く印象に残っている人も多いはず。 原作は『マーガレット』(集英社)で1992年から2004年まで連載されました。 花より男子 第1シリーズは、2005年10月21日から12月16日まで放送。一般家庭で育った主人公・牧野つくし(井上真央)が裕福な生徒の通う学園に入学してしまい、『F4(エフ フォー)』と呼ばれる御曹司グループのリーダー・道明寺司(松本潤)との恋愛が展開されるストーリー。 秋クールNo.1ヒットとなり、また平均視聴率も2005年放送全ドラマの中で4位を記録しました。 そして第2シリーズの『花より男子2(リターンズ)』は、2007年1月5日から3月16日まで放送。続編を望む視聴者の熱い要望に答える形で戻ってきました! 道明寺をニューヨーク留学に送り出してから1年後、つくしは英徳学園の3年生に進級します。花沢類(小栗旬)、西川総二郎(松田翔太)、美作あきら(阿部力)の3人は英徳大学に進学。 家族はまだ、娘と司のカップルが遠距離恋愛を続けているものだと思っていますが、じつは連絡が途絶えてから数ヶ月が経っていました。そして単身つくしがニューヨークを訪れるところから、物語はスタート! そして最後を飾ったのが2008年に公開された映画『花より男子F(ファイナル)』です! 最終話の卒業プロムの4年後、結婚を控えたつくしと司が、ある大事件に巻き込まれるというもの。映画版はドラマと違い、原作漫画のエピソードを使わず、サスペンスの要素が加えられた完全オリジナル脚本を採用しています。主演の井上真央さんと松本潤さんをはじめ、各キャストが続投。ラスベガスや香港を駆け巡る壮大なスケールです! 興行初日の2008年6月28日、29日の2日間で観客動員80万5350人、興行収入10億579万8910円を達成! 最終的な興行収入は77億5000万円で、これは外国映画も含めて2008年の日本の興行収入ランキングでは『崖の上のポニョ』に次ぐ2位となりました。花男の人気は底知れず…! 主題歌は全て嵐が担当。第1シリーズは「WISH」、第2シリーズは「Love so sweet」、そして映画は「One Love」。どれもハートフルで、今も聞き返したくなる名曲!全てロングヒットとなり、オリコンで1位を獲得しました。 そして主題歌以外にも有名になったのは挿入歌。第1シリーズでは大塚愛さんの「プラネタリウム」、第2シリーズでは宇多田ヒカルさんの「Flavor Of Life…

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海猿シリーズを時系列ごとに紹介。終わってしまった人気映画。

若き海上保安官たちが厳しい訓練を積み、人命救助のエキスパートである潜水士として成長していく姿を描いた青春劇、『海猿』。原作は「週刊ヤングサンデー」に連載された、作者:佐藤秀峰、原案・取材:小森陽一による漫画です。 漫画は1999年より連載され2001年に完結し、2004年に羽住英一郎監督によって映画化・そしてテレビドラマ化。さらに続編が3作公開され、大ヒットを記録しました。 キャッチコピーには”ついに最終章”、”シリーズ完結編”と付けながらも終わらず続いた作品。 最終作には次回の予告編まで公開され、終わらない様に見せかけてたのに終わってしまったのはなぜ…⁈ 時系列ごとに、裏話と共に振り返っていきます。 単発ドラマの『海猿』 海猿の主人公と言えば、伊藤英明さん!…というイメージの方が大半だと思いますが、実はその前にNHKの単発ドラマでTOKIOの国分太一さんが主人公・仙崎大輔を演じているんです。 原作に比べ、サスペンスの要素が強い内容になっています。また、どちらも舞台は鹿児島です。 各あらすじはこちら。 2002年:単発ドラマ『海猿』 海上を漂流していたプレジャーボートで、夫婦の遺体と子供が見つかった。大輔と美晴(永作博美)は「自殺」との発表に疑問を持ち、事件の真相を追う。 2003年:単発ドラマ『海猿2』 池澤(杉本哲太)が妻子と乗ったフェリーに、銃を持った強盗犯が現れる。大輔らは犯人の発砲で火災が起きたフェリーへ救出に向かう。 ◾︎2004年以降の『海猿』 そして2004年公開の映画から、主人公は伊藤英明さんです! 2004年:映画『海猿 ウミザル』 キャッチコピーは「カッコつけてちゃ、命は救えない。」 2004年6月12日に全国東宝系にて公開。海上保安庁が全面協力しました。 海猿と呼ばれる若き潜水士候補生の友情、恋、挫折、試練、成長が描かれています。ヒロインの伊沢環菜役には加藤あいさん。観客動員131万人、興行収入17.4億円を記録しました! 海猿のあらすじ…

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実写化映画ランキング・興行収入別2019年公開の邦画は?

小説や漫画が原作の実写版映画が溢れた2019年。では今年人気だった実写化の映画は一体どれ?興行収入別に、2019年の実写化映画ランキングを発表致します。 実写化映画ランキング ⒈『翔んで埼玉』2019年2月22日公開 興行収入37億円超え 『パタリロ』(1978)などで一世を風靡した漫画家・魔夜峰央が1982年に発表したコメディ漫画『翔んで埼玉』が原作の、ご存知”埼玉ディスり”映画。興行収入はなんと37億円を突破、2019年の映画興行収入ランキングでも堂々の13位! 2015年に『このマンガがすごい!comics 翔んで埼玉』(宝島社)として30年ぶりに単行本として復刊され、それをきっかけにテレビ番組、SNS、インターネットなどメディアで多数取り上げられ、再び反響を呼びました。作者が作品発表当時に住んでいた埼玉を題材にした「埼玉から東京に行くには通行手形がいる!」「埼玉県民はそこらへんの草でも食わせておけ!」「埼玉狩りだー!」などの徹底的な“埼玉ディス”は大変話題となりました。上田清司埼玉県知事からは、「悪名は無名に勝る」と県公認⁈のお墨付きコメントを得ています。 かつて埼玉県民は東京都民からひどい迫害を受け、身を潜めて暮らしていました。ある日、東京でトップの高校・白鵬堂学院の生徒会長で東京都知事の息子・壇ノ浦百美(だんのうらももみ)は、アメリカ帰りの謎の転校生・麻実麗(あさみれい)と出会います。互いに惹かれ合うも、実は麗が埼玉県出身だったと知る百美。そして、東京と埼玉の県境で引き裂かれる2人。まさに埼玉版「ロミオとジュリエット」とも呼べる愛の逃避行と、その中で埼玉県解放を成し遂げるべく戦いを挑んだ者たちの革命の物語。若手演技派女優NO.1の呼び声も高い二階堂ふみとGACKTが主演を務めています。 ⒉『Diner ダイナー』2019年7月5日公開 興行収入12億円超え 原作は平山夢明による小説で、店主も客も全員殺し屋の食堂“ダイナー”を舞台にした極限エンターテインメント。監督を務めるのは、写真家・映画監督の蜷川実花。2007年公開の『さくらん』、2012年公開の『ヘルタースケルター』に続く3本目の監督作となる本作で、蜷川ならではのファンタジック・ワールドを描き出しています。 主演を演じるのは、『デスノート』『僕だけがいない街』『22年目の告白-私が殺人犯です-』など、これまでも怪奇的な役柄を演じてきた藤原竜也。蜷川幸雄に見出され芸能界デビューした藤原竜也と、同氏の娘に当たる蜷川実花監督の運命的なタッグに注目です。またヒロインの座には、モデルのみならず女優としての活躍場を広げる玉城ティナ。 元殺し屋で天才シェフの店主・ボンベロと、とある事件をきっかけにウェイトレスとして売られたオオバカナコを主役に、極限状態の日常を描く作品。 ⒊『マチネの終わりに』2019年11月1日公開 興行収入8億6千万超え 原作となった芥川賞作家・平野啓一郎が2016年に刊行した同名の小説「マチネの終わりに」は、日本・パリ・ニューヨークの3都市を舞台に、クラシック・ギタリストの主人公と海外通信社所属の女性ジャーナリストが、6年間でたった3度の出会いの中で惹かれ合い、人生で誰よりも愛した存在になるという、大人の恋愛小説。渡辺淳一文学賞を受賞した本作は、純文学としては異例の17万部を突破した作品となりました。 クラシック・ギタリストの蒔野聡史と、海外の通信社に勤務する小峰洋子の出会いから始まる物語。ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた二人…。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていましたが、洋子には婚約者が。世界を飛び回る仕事柄、そして時代という大きな波に翻弄され、蒔野と洋子の間にはすれ違いや思わぬ障害が生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまいます。互いへの想いを心の底にしまったまま、別々の道を歩む二人の運命が再び交わる日はくるのかー。主演は福山雅治×石田ゆり子という所も注目。 4.『午前0時、キスしに来てよ』12月6日公開 3週目にして興行収入4億3千万超え 人気少女コミック『午前0時、キスしに来てよ』が原作の、普通の女子高生が国民的人気スターと恋に落ちる、シンデレラストーリー。こちらは12月に公開されたばかりですが、3週目にして興行収入4億3,100万超え! 真面目を絵に描いたような女子高生・花澤日奈々の夢はおとぎ話のような恋をすること。そんな夢など自分のような人間に舞い降りるはずもないと思っていたところに、日奈々が通う高校にイケメン俳優の綾瀬楓が映画撮影のために訪れたことがきっかけで、これまでの日奈々の平凡な日々の色が一気に彩られていきます。GENERATIONS from EXILE…

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Yahoo映画ランキング!映画好きが選ぶ感動の名作5選

Yahoo映画で★評価4以上の、人気の作品を5選いたしました。どれもいつ観ても感動する、不朽の名作ばかり。まだ観たことのない作品があれば要チェックです! Yahoo映画ランキング! 1位:ショーシャンクの空に ★評価:4.6 堂々のNo.1!感動したいときに、たまにふと観たくなるのはこの映画。 人を罰するとはどういうことなのか。”犯罪者”であるがゆえに、闇に消える問題がそこにはあします。無実の罪で収監されたアンディー、そして殺人罪で服役するレッドの運命を通して、刑事司法制度の抱える問題点に鋭く切り込むストーリー。スティーヴン・キングの中編を集めた作品集『恐怖の四季』に収録されている「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作になっています。 あらすじ アンディ・デュフレーンは妻とその不倫相手のプロゴルファーを殺した容疑をかけられ、逮捕される。アンディは無実を主張したものの、終身刑の判決を受け、ショーシャンク刑務所に収監されることになる。この大規模な刑務所ではノートン所長が絶対的な権力を振るい、囚人たちを支配していた。ショーシャンク刑務所では、服役囚に対する刑務官の暴力や、囚人同士のけんかや暴行が日常茶飯事だった。 刑務所内には日用品やタバコ、はては映画女優のポスターに至るまで外部から調達してくる”調達屋”レッドがいた。アンディと同じ終身刑を宣告されたレッドは二十年以上もこのショーシャンクで服役していたが、仮釈放の見込みがいっこうに立つ気配はなかった。レッドと知り合ったアンディは少しずつ、刑務所の生活になじんでいく。やがて、銀行の副頭取だったアンディは刑務所長の会計係を務めるようになり、受刑者達や看守たちの心を掴んでゆく。そして20年の歳月が流れた時、彼は冤罪を晴らす重要な証拠をつかむのだが……。 2位:バックトゥーザ・フューチャー ★評価:4.6 1980年代を代表する大ヒット作であるSFアドベンチャーの傑作! 自動車型タイムマシンで1985年から1955年へ時空移動した高校生が、自分と同世代だったころの両親と出会うなどして騒動を巻き起こす。監督は『フォレスト・ガンプ/一期一会』などのロバート・ゼメキス、製作総指揮に巨匠スティーヴン・スピルバーグが名を連ねている。マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイドが高校生と博士を熱演。スリルと興奮と笑いに満ちた展開に加え、名車デロリアンを改造したタイムマシンの鮮烈なデザインも必見。 あらすじ 1985年。友人の科学者ドク(クリストファー・ロイド)と知り合った高校生マーティ(マイケル・J・フォックス)は、彼が愛車デロリアンをベースに開発したタイムマシンを見せられる。試運転を始めようとしたところに、ドクに恨みを持つテロ集団が襲い掛かる。銃弾を浴びて倒れる彼を見たマーティはデロリアンで逃げ出し、そのまま1955年にタイムスリップ。デロリアンの燃料切れで1985年に戻れなくなったマーティはその時代に生きるドクに助けを求めて帰ろうとするが、まだ高校生である母親にほれられてしまう。 3位 ニューシネマパラダイス ★評価:4.4 イタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレによる、「好きな映画ベスト10」などのランキングでは必ず上位にランクインするとされる、ジュセッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。 映画史に残る至高の名作と言われており、イタリアのシチリアを舞台に、少年と映写技師が映画を通して心を通わせていく様を、感動的な音楽と繊細な人物描写で描き出しています。 映画に魅了された少年トト役を、サルヴァトーレ・カシオが愛くるしい演技で演じきりました。年齢を超えた友情や少年時代の夢など、世代や時代を超えた人々に愛される物語に、。巨匠エンニオ・モリコーネの音楽、そしてあまりにも有名なラストシーンなど、“映画の魔法”という名の感動が存分につまっている作品です。 あらすじ ローマに住む映画監督のサルヴァトーレ(ジャック・ペラン)が、ある知らせを受け、過去を回想していく物語。…

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アナと雪の女王2|隠された秘密をめぐる物語がついに動き出す。

なぜ、エルサに力は与えられたのか―。 隠された秘密をめぐる物語がついに動き出す。姉妹の物語がついに完結! 日本で2014年に公開され、興行収入255億円の大ヒットを記録した『アナと雪の女王』の続編、『アナと雪の女王2』。日本中に主題歌の“レット・イット・ゴー”があふれ、世代を超えて大ヒット隣、社会現象を巻き起こしました。ディズニー・アニメーションの金字塔とも言える今作。続編ではどんな事が起こるのでしょうか…⁈ 『アナと雪の女王』の待望の続編のストーリーと、前作で解き明かされなかった秘密など、あなたも絶対映画館で見たくなる内容をお届けいたします。 アナと雪の女王2|ストーリー 彼女にしか聞こえない不思議な歌声… 命がけの妹アナによって、閉ざした心を開き、“触れるものすべてを凍らせてしまう力”をコントロールできるようになったエルサは、雪と氷に覆われたアレンデール王国に温かな陽光を取り戻した。そして再び城門を閉じることはないと約束した。それから3年…。 深い絆で結ばれたアナとエルサの姉妹は、王国を治めながら、失われた少女時代を取り戻すかのように、気の置けない仲間たちと平穏で幸せな日々を送っていた。しかしある日、エルサだけが“不思議な歌声”を聴く。 その歌声に導かれ、仲間のクリストフやオラフと共に旅に出たアナとエルサは、エルサの持つ“力”の秘密を解き明かすため、数々の試練に立ち向かう。果たしてなぜ力はエルサだけに与えられたのか。そして姉妹の知られざる過去の“謎”とは? 旅の終わりに、待ち受けるすべての答えとは……。 前作で解き明かされなかった“最大の謎”に直面する。 「私は、どうして人と違うの?どうして私だけに不思議な力があるの―?」 エルサの力の秘密、姉妹の知られざる過去の謎とは? ストーリーを読むだけでも続きが気になって仕方ない展開です! 前作のハッピーエンドで全てがめでたく終わったかの様に思われていたアナと雪の女王。けれど確かに、なぜ、アナにはなくてエルサだけに力が与えられていたのでしょうか…?また、旅に出てしまった優しかった両親について詳しく描かれていませんでしたが、そこらへんも詳細が気になるところ…などなど、他にも考えてみると様々な謎が出てくるのです。 実は今回の『アナと雪の女王2』で解き明かされる謎には、エルサの力の秘密だけではなく、こんなもの達も含まれているのです。 ⒈なぜアナとエルサの両親は旅に出てしまったのか? 前作で姉妹を置いて2週間もの長い船旅に出かけた両親。アナとエルサを深く愛し、特別な”力“を持って生まれたエルサを案じ、城を閉ざして暮らしていた二人。それなのになぜ船で外の世界へと向かったのか? 前作では荒れた海を船旅する最中、両親が命を落とし、姉妹が二人だけ取り残されてしまって悲しみに暮れた様子が描かれていました。しかし、両親が二人を置いて外海へと旅立った理由は明確にはされておらず…今作ではアナとエルサの家族にまつわる、前作では語られなかった物語が…! アレンデール王国の外の世界とは? エルサの戴冠式の際には、諸外国から人々がお祝いに訪れましたが、アレンデール王国の外の世界は雪の山以外、描かれることはありませんでした。本作では“不思議な歌声”に導かれたエルサがアナと共に未知の世界へと一歩踏み出し、王国の外に広がる広大な大地に霧に覆われた森など、王国とは異なる不思議な世界が描かれることに。そこでエルサとアナ、そして前作で大事な仲間になったクリストフとスヴェン、オラフたちを待ち受ける冒険が繰り広げられます。…

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コラム No. 79

多様性のマネージメント あるセミナーで、Webサイト(業務アプリケーション)開発の一番の問題は、技術ではなく組織的な部分だという話を聞いた。但し、Web的なデザイナとエンジニアという二極ではなく、クライアント/サーバ(C/S)システム的なクライアントエンジニアとサーバエンジニアという二極での話。とにかくその二極の人間達では、物事の考え方も、話す言葉も違う。なので、円滑なプロジェクト進行をすることが難しい、面倒だ、と。 その講演者の結論は、ならば一極集中型にすればよいというものだった。クライアント(基本的にPC)側の殆どの機能に、サーバエンジニアが理解でき記述できる技術(基本的にはJava)を使えば良い。そうすると、組織としてはサーバ側のチームだけで開発が進められる。つまりはチームとしてのまとまりが良くなり、問題が起こっても直ぐに対応できる。それがハッピーだ、と。 例えばFlashが良い例かもしれない。Flashがシステムインテグレータ(SIer)に浸透しないのは、同じ考え方に根ざしている。Flash/ActionScriptはSIerの標準的な開発工程管理手法との接点がまだ見えていない。タイムラインの概念も憶えなければならないし、そもそもが「体験を開発する」というコンセプトが馴染まないのである。技術的な問題以上に、人的或いは文化的な問題の方で敬遠されているように見える。Flashアプリケーションは、SIerにとって異文化/異民族なのだ。 単一民族的な組織で開発を進められることは、マネージメント的に考えると理想的な状況なのだと思う。仕事だけを見つめれば良い。仕様を担当者に割り振り、その一つ一つのタスクを管理していけば良い。担当者の個性や出自を考えるのは、最初の担当割振りの時だけで、その後はタスクの進捗度だけを見つめればよい。同じ言語文化を共有しているから話の通りも良い。生産性比較もし易いし、報告もしやすい。 ■ しかし、その話を聞きながら、何かしっくりしない感覚が残る。Webサイト開発の歴史を思い出しながら、同じ技術的基盤を共有した者だけで作ってきたものが本当に良いサイト(Webアプリケーション)だったのだろうか。デザイナだけで作られたもの、エンジニアだけで作られたもの、クライアント(顧客)の発想だけで作られたもの、開発企業の発想だけで作られたもの。数少ない例外的「傑作」を除いて、歴史に名を残していない気がしてならない。 私にとって、Webは自分と違う「文化」に接する出入り口だった。それが「デザイン手法」であったり、「Java」であったり「育児」であったりする。自己流と異なる、見事な「技」に触れたとき、その通路であるWebに感謝し、のめりこんでいった。 自己流が全てではない、という「気付き」。もっと優れた道は必ずある、という発想の原点。Webは、それらを私が自惚れる度に示してくれる。自分とは異なる価値観に触れる楽しさを思い出させてくれる。 そう言った「場」を開発するチームが、単一民族で可能なのだろうか。ユーザビリティをカヴァーすることが、本当に同種の人間達だけで実現できるのか。今までのデザイナとエンジニアの確執を見てきている者にとって、それは「おとぎ話」に聞こえる。 ■ 技術は発想力をジャンプさせるものにもなるけれど、制限するものにもなる。Photoshopのように、今までシミュレーションできなかった画像処理を目の前で即座に試せるようになったときには、出来上がる作品が階段を一段上がったように感じる。しかし、皆が同じツールを使い始め、生産効率性云々と言い出すと、そのツールで出来ることをやろうと頭の中でブレーキが働く。 クライアント側でもサーバ側でも、偏った一部のグループが開発を進めると、どちらかというと後者のブレーキ現象の方が強く現れるのではないだろうか。単一の技術を中心に開発が進められると、評価軸がシンプルなので、どうしても開発生産性競争になりやすい。それは出来ることを出来るだけ早く、である。 Webはデータのやり取りだけをするアプリケーションではない。使う人を誘導する機能があってこそ活かされるものである。その「誘導」を、ナビゲーションといったり体験と呼んだりするのだが、それは本来、誘導される「人間」を理解していないと設計できるはずがない。技術者は時々忘れてしまうけれど、JavaよりもPhotoshopよりも、人間の方が奥が深い。そして、その深さは多様性があるが故だろう。 例えば、赤ん坊の「重み」は、一般の若い会社員男性には余り想像出来きない。生まれた時の 3Kg前後の重さが、親にとってどれほどの重みであるのか。大きくなる毎日でお母さんの腕にどれほどの負荷と喜びをかけているのか。そんなことが理解できるのは、実際に親になるなり、親戚の子供を抱いたり、それを喜ぶ友人に触れたり、今までにない経験や価値観に触れることを通してだ。 そして、そんな人達に響くWebサイトを作るには、そんな想いを知っていなければ設計できるはずがない。その知るべき知識の中で、サーバ技術等の占める割合は実はあまり大きくない。色んな人が居て、色んな感情がある、というのが最初の一歩だし、そうした異文化を自分の従来の価値観と整合性を取って行く舵取りが越えるべき壁だろう。そこを取り違えると、オシキセの嫌味な使われないシステムを作ることになる。 ■ 最近、もう一度Webのことを考え直そうとしている。その中で感じていることは、やはりWebは「新しい分野」なのだということ。従来のどこにもなかったシステムやメディアの一つなんだろうと改めて感じている。 そして、新しいモノを古い評価軸の中でマネージメントしようとしているんじゃないかという疑問。C/Sシステムでは、同じ釜の飯を食った単一民族で開発するのが最良だったかもしれないし、それがマネージメントの要だったのかもしれない。でもWebは多民族(様々な技術背景を持った開発者)で作るべきかもしれないし、それが多様性を容認する基盤かもしれない。そして、その多民族を一つのゴールに向かわせるのがWeb的マネージメントなのかもしれない。…

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コラム No. 78

イントラネット Webに惹かれていると公言して数年経つが、実を言うと個人的に一番好きなのは「イントラネット(イントラ)」の世界だ。世界中の様々な趣味や意見に触れることは、勿論楽しい。しかし、それらは自分の生活に直結はしていない。イントラが賢く鋭くなると、私の仕事は円滑になり、ストレスが減る分生活も潤う。 今は、Ridualの開発が実は主業務であるのだが、たとえそれに専念できているとしても、会社で働く以上何かしらの間接業務が発生する。それは、交通費申請であったり、勤怠管理だったり、そうした日常の細々した情報操作だ。開発業務や研究活動だけして、給料がもらえるような会社は多分ないだろう。 ■ 私は転職組で、複数の組織のカラーと仕組みを見てきている。年俸アップだけを見つめて移っていった訳でもないし、昭和初期生まれの父の世代からは、転職すること自体に眉をひそめられた。転職するたびに、「モラル」や「忠誠心」や、そもそも「会社って何?」等を考える機会を持ってきた。 「親方日の丸」や「よらば大樹」的な考え方が、儒教的な色彩も持って浸透しているのが従来型の「会社勤め」だったと思う。それに対して、私の世代の前後からは、「会社」を想う精神的な「量」が減ってきているのかもしれない。会社員生活だけが自分の生活の全てではないことを自覚していたし、会社も私の一生の面倒を見るほど人情味に溢れた場所でもなくなって来たからだ。 そんな状況の中で、自分を特定の会社に結びつけるものは何か。この問いの答えを未だ完全には見つけていないが、私にとってはイントラと関係がありそうだ。イントラの良し悪しが、「会社で居心地が良いか」と直結していると思えるからである。 ■ 今後もしも転職することになっても、私がやれることはWebに関係する業務しか事実上ありえない。他には能がない。この分野での自分からのアウトプットは自分を律するしかなく、自分自身でコントロールできるところだ。優れた人達から感化されることは多々あるけれど、誰かに依存する部分は少ない。 だとしたら、それに如何に集中できる環境であるかが、会社選びの要となる。それは私にとっては、申請処理などの日々の細々とした作業を如何に簡潔に行えるか、社内の情報共有がどれほどスムーズかにかかっている。福利厚生と同じくらいに、社内システムのIT化の度合は気になる。 複数の会社のシステムを実際に触り、時にはコンサル的な立場でクライアントのシステムを見せてもらったりもする。余り事例的に多くを見ているとは言えないだろうが、素晴らしいイントラのシステムに出会うことは極めて稀である。現場が悩むだろうとか、情報共有が進まないだろうなぁと容易に予想できるシステムがゴロゴロしている。 Webデザインが単なるグラフィックデザインではないと気が付いてから、インフォメーションアーキテクト(IA)の分野の仕事の比率は否が応でも増加する。そうした情報整理の目でイントラを見回すと、そこには広大なマーケットが存在していると感じている。更に魅力的に感じるのは、改善されると喜ぶ人達を身近に感じることが出来る領域だということだ。不特定多数への貢献も楽しいけれど、特定多数も捨てがたい。 ■ しかし、どうもイントラには、「釣った魚には餌をやるな」という風潮が、広がっているようだ。社内の情報システムへの投資を積極的に行なっているという話は余り聞かない。たまに雑誌で美談的に扱われているのを見ると、そうした風潮を逆説的に証明しているようにさえ感じる。 そうした美談の成功秘訣は、基本的には現場の声にどこまで従っているか、だ。偉そうな情報システム部門が「下」の者に作り与えるという形式での成功話は殆ど聞かなくなった。現場重視。その証拠に「パートのオバチャンが使い込めるかが、鍵でした」のような見出しが目に付く。 「上」の者が理屈で考えた理想論システムではなく、「現場」の声を重視した設計。理屈の上での効率化ではなく、現場のポテンシャルを現場自らが引き出せる効率化の路線。しかし、これこそがWebの特にB2Cの分野で繰り返し示されてきた教訓だ。とにかく現場(ユーザ)に聞け。 ■ Rich Internet Application(RIA)の芽が出始めたとき、多くの雑誌で特集されたのは、「クライアントサーバ(C/S)システムからWeb(HTML)システムにしたのは間違いだった、現場の効率が悪すぎる。RIAへの期待は高まるばかり」という結論だった。…

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コラム No. 77

Web開発の今後 Webデザイナという職種の地位を最近考える。バブル後半から崩壊期あたりに少しもてはやされた記憶があるが、それ以降余り脚光を浴びないものになって来ているような気がする。 その代わりに、扱う業務が増えている。Webデザインをやっていると言うために知っておくべき知識が増え続けている。しかもプロであると自覚する者ほど、高い壁に囲まれる。ユーザインターフェース(UI)デザインから、サーバサイド、データベース、セキュリティから法制度に至るまで、情報を扱うために知っておくべき全てのことを知っていると期待される。 ある意味で、「デザイン」が「グラフィックデザイン」から本来の「設計」を意味する言葉に変化してきていると言えるのかもしれない。多くのプロのWebデザイナが、その変化に追従し追い越そうとして多くの時間をかけている。 しかし、まだこの現状を理解している人がクライアントサイドには少ないのかもしれない。Webサイトの構築を頼まれてから、それに着手するまでに説明しなければならない事柄が減らない。まだまだWebサイトを構築すると言うことの意味が浸透していない。 ■ 誰もがこぞってWebサイトを作り始めた時、それは紙の会社案内をデジタル化しただけが主流だった。全世界に開かれた玄関を作りましょうという合言葉に、扇動された時代。けれど、ただ単に皆と同じに玄関を作っただけのところは、Webという海に埋没して行った。その玄関に、より先進的な「使い方」を付加したところだけが歴史に名を刻んだ。 次に、使い方にバリエーションが生まれてくる。情報提供だけではなく、Webアプリケーションとしての動き。商品の品揃えで勝負する方向性や、既存ブランド名を冠した大規模化の流れ。既存の市場を押さえ込む手法が至るところで適応された。大企業が、プライドにかけてWebに投資した。 しかし、結果は思ったようには付いて来なかった。Webは今までのコマーシャル界の常識では計れない魔物が住んでいる。それはTVのように受身で情報を受け取るしか道がない訳ではないという点だ。どんな有名な企業がサイトを作っても、ユーザは見向きもしないということが常識的に起こった。 更に、まだまだ回線の細さの影響を、サイト開発側が見積もれていなかった点も大きかった。どんなゴージャスな絵を配置しても、単なる絵を見るために数分間待ってくれるユーザはまだ育っていなかった。 そうこうしている内に、バブルがハジケて、思ったほどの効果の上がらないWebサイトは収束ラインに乗せられる。多くの投資をかけても効果の上がらなかったサイトが、予算削減の中で効果を高められるはずもなく、殆ど注目もされないまま、閉店通知メールが行きかった。 多くの既存有名大企業が手がけたWebサイトが閉鎖に追い込まれる中で、新興企業はユーザの動向を学び、素早く動き、改良に改良を重ねて地盤を固めていった。そして、2004年。この日本で、ネット系の野球のオーナー企業が誕生した。ネットがビジネスにならないと撤退した大企業はどんな想いで、このニュースに触れたのだろう。 余り報道も検証もされないが、撤退した企業やサイトには、何かが足りなかったのだ。新興企業が発展できるだけの土壌があったにも拘わらず、既存大企業が投資を繰り返したにも拘わらず、大手が敗退した。それは、先見性と投資に関わる分野であり、真の意味での「デザイン」と無関係ではない。どんな機能を実装すべきで、どこに投資すべきかを語るのがデザインなのだから。 ■ 多くのネット系企業が大きくなっているものの、取り残された分野がある。Webデザイナ業界。先述の多くの技術が必要な分野でありながら、頭の使い方次第では野球チームのオーナーになるポテンシャルを持つにも拘らず、予算が付かない分野。「Webをデザインする力」が正当な評価を受けていない。 Webデザインをやっています、と言っても通じない場合がまだ多い。ホームページを作ってます、と簡単な揶揄で説明すると、「ウチの娘もこの前作りましたよ」とか言われる。オリンピックレベルから、幼稚園生のカケッコまでが一つの言葉で語られる奇妙な世界がここにある。 「デザイン」をグラフィックデザインと同一視し、非論理的だという先入観だけで卑下する人達も未だ多い。特にエンジニアの中に多い。データベースからデータを抜き差しするだけでは、ユーザは魅力を感じてくれないことに未だ気が付かない。デザイナがデータを「使われる情報」の形まで昇華していることに目を向けない。使われる情報を設計するよりも、Javaを使える事が偉いと未だ思っている。ユーザは何で作られているのかなんて誰も見ていないのに。 開発という大きな仕事をした人達を扱うメディアにも問題を感じる。これほど多くの先人が自分のスキルを披露している分野があるだろうか。なのに情報提供した人が報われない。一度、寝ないで仕上げたサイトのノウハウを、雑誌の一特集の一部分として扱われた。挨拶もなく、正直食い物にされたと感じ不愉快だった。努力した人に敬意を払わずに、自誌の売上げだけを目指す。業界を育てる気が無いのかと疑った。 Webデザイナの仕事の何たるかを説明しないまま進んできたおかげで、Web屋はギリギリの予算で良いモノを提供させられている。知識のランクを示す言葉も存在しないし、何をデザインしているかも理解されない。アイデアもテクニックも自動販売機のように大量に引き出されて当然と思われている。多くの場面でディレクタ的存在が求められているにも拘わらず、メディアと学校から初心者だけが大量生産されている。予算の付かない現場は教育部門としては機能できない。それらが悪循環して、更なる低予算長時間労働で業界が疲弊している。 ■…

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コラム No. 76

クリスマス もう何年も前の作品だけれど、「おやこ刑事(デカ)」(大島やすいち/林律雄)というマンガが好きだった。幾つもの輝く短編の中で、クリスマスの話を未だに思い出す時がある。デカ仲間で、プレゼントに何をもらったかを語る場面。 一癖も二癖もあるデカ仲間が昔の思い出を順々に話す。子馬をもらったというご令嬢のあとに、主人公の「文吾」が父親から将棋を教えてもらったという話をする。文吾は父子家庭で、クリスマスの朝に、刑事である父とプレゼントの約束をする。早く帰ると約束した父は文吾が寝てから家に辿り着く。足音を忍ばせて部屋に入っ行く途中で約束を思い出す。 文吾が起きる。父は謝るしかない。困った父を前に、文吾が将棋台を運んでくる。形のない大切なプレゼントを受け取った話を文吾が語る。下町の警察署が舞台。その話を聞くデカ仲間の全員がしんみり暖かくなる。その夜も、現職のデカである父は息を白ませながら張り込みをしている。 ■ そんな話に共感を感じるような環境で育ってきた。でも、もっと暖かな家庭を目指したいと思ってきた。でも気がつけば、いつも深夜帰りになっている。今更ながら気が付く。息子も娘も大切な時期を過ごしている。私は、父親デカ程に、何かをこの子達に手渡せているのかと。 積極的に子供たちに何かを教えていたのは、少し前の三年間。当時私は所属するキリスト教会の日曜学校の先生をしていた。始まった時は、生徒が五人。そのうち我が子が二人。毎週日曜日、礼拝が始まる前の三十分、ミニ礼拝という形で聖書を一緒に学ぶ。 実を言うと、私のプレゼンのスタイルはこの時の経験から生まれた。Flashで描いた紙芝居を前に熱っぽく語るスタイル。大抵は土曜日の昼頃から、何をどう語ろうかを練っていき、夜にタブレットを使って絵を描き始める。出来上がるのは、深夜から早朝。三人の先生で持ち回りをしたので三週に一回、そんな生活を送る。きつかったけれど、場が与えられていたから続けられた。 プレゼンを指導してくれるのは、牧師ではない。目の前に居る子供たち。子供たちは残酷だ。興味を感じなければ何も耳に入れない。セミナーで眠られるよりも、目も前で鼻をほじられる方がこたえる。「あー、つまんない!」叫びだす子も居る。授業参観でも知っているが、子供たちは大人の話を聞くことに何の敬意も払わない。プレゼンの練習をする場としてこれほど効果的な場はない。 幸いFlashプレゼンは子供たちには受けた。とは言っても、語る内容は聖書の話である。誤解している人が多いと思うが、聖書は信仰心篤い善良な人達の話ではない。基本的に神に背を向けた人達の苦悩の歴史である。そもそも子供たちが喜んで聞く題材ではない。でも、当初の五人が三年間の間に十人強になり、何人かの親まで参加するようになった。 平日我が子と接する時間は取れなかったが、自分の子供も含めた集団に接する親の姿を見せれたのは良かったように思う。生活の主軸を「仮想」に置いているがこそ、リアルな子供たちとの接点は大きな支えになった。 そして、子供たちばかりではない。教会という場所は、規模の大小に関わらず、大抵がまさに老若男女が集う場であることが多い。赤ん坊からご老人までいる空間は、独りよがりのユーザビリティ感覚を壊してくれる場でもあった。年齢幅を考えると、文字や言葉の認識も、食事についても、ゲームにしても、一つの形で全員が満足することはまず在り得ない。それが目の当たりにできる。私はWebに適応可能な多くのことを教会で学んでいる。 ■ それにしても、世界中の人が一人の男の誕生と死の場面を漠然と知っている。不思議な話だと思う。イエス・キリスト。信仰の有無も含めてその捉え方は様々だし、クリスマス自体も商業主義的な色彩が強まってはいるが、何かしら人の気持ちを潤す響きは失わない。 「人を殺すなかれ」、神が人に示した戒めの最初の言葉。その言葉の書を引用して戦争が開始され、殺戮は止まない。宗教という言葉でくくられた政治が立ち往生している。信仰、自分の心の中心に何を置くのか、2004年はそれらが厳しく試されたように感じる。それでも、この時期のケバケバしいネオンの下でさえ、クリスマスに、何かしら人の気持ちを潤す響きは失われていない。 クリスマスが12月とされたのは、本人の誕生から随分と経ってからのようだ。冬至という夜が最も長い日、翌日から陽の照る時間が徐々に延びる日。闇が次第に追いやられて行き始める日。それがイエスの誕生日に相応しいとされた。 誕生はこの世で一番みすぼらしい場所。馬小屋はともかくとして、最初に置かれた場所は、飼い葉桶。餌の入れ物である。出産を経験したり立ち会ったことがあるならば、それがどれほど非常識かが分かる。同時に、そこに入れざるを得なかった両親の痛みも。神の子が、神々しい光と共に天井に降り立つのではなく、この世で一番底辺に現れた。しかも、赤子という一番非力な姿で。 クリスマスという言葉の神聖さは、光り輝く神々しさではなく、闇の中にかすかに一つ灯ったキャンドルのような光に感じる。そして、それは、マリヤとヨセフという、これもまた恵まれているとは言い難い二人が、喜びながら赤子を授かるという場面に集約されている。 普通の家族の営み。普通の家族の喜び。その「型」がここにある。苦しさの中にあってさえ、馬小屋で生まれた子供を想うと、その子の祝福を願いたくなる。同時に、こんな自分でさえ祝福に預かれる、預かって良いのだと思える。教会学校で子供たちに伝えることの大半は、ここにある。あなたは愛されていますよ。こんな赤面するような台詞を大真面目に語れる場は他に思い当たらない。 ■…

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コラム No. 75

もてなしと配慮 RIA(Rich Internet Application)システムを提案・設計する時、「おもてなし」という言葉が殆ど常に目の前に現れる。お客さんが何かを探す時さりげなく支えるような、どこか心憎いと言われるようなサービス。それをアプリケーションで作ろうとする。 オンラインで買物等をする「ユーザ層」は確実に広まっていて、しかもそれが常識的な行動になりつつあるディープ層も確実に膨らんでいる。セキュリティ等をまだ使う側も気にしなければならないとは思うけれど、実際に足を運んだり、電話をして注文することすら、少し億劫だという空気は出始めている。 いくつものオンラインショッピングサイトでの経験を重ねながら、どんな購入方法が便利かとか、どんな時にどこのサービスを活用すべきかが、一部の業界人以外にも、見えてきている。そして、必然的に、情報を得る場所と、購入をする場所との棲み分けもはっきりとしてきたように感じる。 利用者に馴染みの店ができてきた状態で、新規に店を出すのなら、既存顧客を振り向かせる「何か」を用意しなければならない。先ずはプレゼント。そして、手数料とか送料など直接的なもの。会員特典やポイントも有効だ。でも、それらだけでは長続きしなくなって来た。そうした作られた魅力が色褪せてきている。当たり前になって来たといっても良い。長く使い続けるには「使い勝手の良い」環境の大切さを、ユーザ自身が見始めている。 ■ ユーザビリティ。使い勝手。長い間、定量的に証明しなければ、実装予算を確保できなかった分野に明かりが差して来ているのかもしれない。未だに、Webデザインが見栄えを中心とした「お化粧直し」と思っている層に、実は「サービスのデザイン」をしていたことをユーザ動向が示し始めている。 「格好良い店」でショッピングをしたい人達もあるだろうが、多くは「便利な店」で買物をしたがっている。その問われている「便利さ」の定義が膨らんでいて、その実装方法も拡大してきている。RIAはその最先端に位置しているように思う。 誰かが何かを買うときに、何を便利とするのか。それがどれくらい複雑なものかは、実店舗に数時間も座っていれば分かる。土地柄もあれば、趣味もある、個人差も性差もあるだろう。優れた店員は、顧客の容貌を見て、何らかの判断をし、適したモテナシを選んでする。人間の対応能力の幅の広さだ。 それを相手が誰であるかも告げられないWebアプリケーションが代行しようとしている。見た目には、ドラッグ&ドロップで商品が選べたり、商品比較が一目でできたり、少し派手目な「機能」に注目が集る。しかし、その設計思想の根底には、「おぉよく気が付くじゃないか」とか「なかなか察しが良いねぇ」とモニターの前ですら言葉にしないような褒め言葉を狙うような洞察がある。 人がある特定の情報や商品を選ぶ時、どんな行動を取るのか。紙に書き出す、冊子のページに付箋を貼る。比較表を作る。友達とワイワイ議論する。そんな一つ一つの行動を頭に浮かべて、Webデザイナは一つ一つの「機能」に分割する。多くの分割された「機能」は最早技術的に実装可能なところまで来ている。絵の具を選び重ね絵を描くように、個々の機能を丁寧に並べ、つなぎ目が見えないように縫い合わせ、一個のWebアプリケーションの形をした「サービス」に仕立て上げる。 勿論、これらはRIAシステムでなければできない話じゃない。HTMLだけでも、昔から成されて来た道だ。優れたサイトはそうできていた。ユーザをそれとは気付かせないで満足という出口に導く見えない導線。それに感動したし、憧れた。それが、針と糸しかなかった時代から、機能的なハサミやミシンを駆使できる時代になっただけで、仕立て屋さんの気概に変化はない。 ■ でも、ふと立ち止まると、実生活で「おもてなし」の根底の「配慮」に触れることが減ってきている。笑いながら割り込み乗車をする人。降りる人を掻き分けて先に電車に乗り込む人。自動改札機の前まで来て立ち止まって切符を探す人。狭い道を数人で横に広がって道をふさいで歩いていく人達。10メートル先の人に話しているのかと思うほどの大声で携帯で馬鹿笑いする人達。この時代になっても、廻りに霞がかかっている程に煙草を路上で吸う人達。 私自身たいして礼儀正しい訳ではないが、以前は少し考えれば避けて当たり前のことばかりだ。心を配ること自体が退行している。或いは、そんな余裕もなく生活に流されている。日本人の奥ゆかしさはおとぎ話のファンタジーにさえ思ってしまう。 こんな時代に、次のWebデザイナを目指す人達を心配する。ちょっとした気遣いも減っていく実生活の上で、「おもてなし」をデザインして行くのだ。厳しい道のりだと思う。強靭な自己と理想と夢がなくてはやって行けない。 ■ 先日セミナーで聞いた話だが、米国では4年前の大統領選の時から選挙をより民主的に行なう活動が政府主導の下で行なわれているそうだ。その活動の一つは投票所のユーザビリティを向上させるという形で進められている。その業務を請け負ったのは、コンサルタント屋さんではなく、Webデザイン屋さんだったとのこと。…

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