大学

Ridualは今、複数の大学の中で次なる脱皮を目指して改良を重ねている。この言葉ほどドラマティックな動きではないけれど、止まっている訳ではない。産学連携プロジェクトとして Ver.2 の形を模索している。

この接点のおかげで、約十五年ぶりに大学という環境に近づけた。正直なところを書けば、大学と企業とには少し溝があるように思っていた。特にWeb系の話で言えば、企業は収益を上げることから逃れられず、凄いスピードで進む技術の波の中を突き進んでいる。先進性を重視し、時代を追い越そうとさえする進み方だ。かたや大学は、もう少し学術的にキチンとやることに重きを置いているような印象があった。少し時間の流れが違う空間。「学術的」という言葉を耳にする時、互いを隔てる、何かしら冷ややかな空気が感じ取れる。

しかし、ここ二年ばかりの間に触れた、「大学」は随分と違った印象を与えてくれた。先ずは、書類の消化速度。

幾つかの報告書を大学の教授達と一緒に見る機会が与えられた時のこと。ある教授は三十枚以上のパワーポイント書類をパラパラと見て、数枚めくっただけで、その報告書の核心を一言で批評した。少し私の本職と離れているせいもあって、余り熱も入れずにパラパラと項をめくっていた私は、ドキリとした。

その後に続くコメントは、その報告対象そのものの本質と、検証姿勢や方式全てに渡るもので、百を越える検証データの中からも、本質的なモノを正に端的に抽出して問題点も並べ立てた。報告者は言葉を失った。誰もフォローができない状態に陥った。しかし、教授は怒っている訳ではない。その報告の長所短所を見切って、次に何をすれば良いかを決めようじゃないか、という姿勢だった。見事。

帰りの新幹線の中で、何度もその報告書を見直した。何故、数ページでことの本質が分かってしまうのか。そのマジックは、きっと魔法ではなく、純粋に知識の蓄積の故なのだろう。Webの歴史が浅いとはいえ、流れ的にはソフトウェア工学からの影響は強く、「デザイン」という課題が増えただけとも考えられる。ソースコードに対する様々な実験や思想は既にソフトウェア工学では積み上げられているのだから、話の起点と方法論を聞けば、その行き着くところは予想できる部分が多いのかもしれない。

更に、学生や他教授のレポートを毎週見ているのだ。文書慣れしているのは確実である。報告者の気持ちまでも、読み取れるものなのかも知れない。学生の頃、いい加減に出したレポートがどんな風に見透かされていたのかを知らされる思いだ。

また、一般に、大学は企業と違って、収益と言う部分から離れて活動ができると思われがちだが、私と接点がある大学は皆、大学の予算とは別のところから予算を集めての研究も続けている。当然審査があり、評価があり、打ち切りもある。基本的な部分では企業と変わりはない。

Webの世界を見つめるのに、その流れの中にいる方が見えるものと、見える時とがあると思う。また、岸辺に立った方が、見えるものと、見える時とがある。Webの世界は、今は少し自分達の立ち位置を再確認した方が良いような時期に来ているように思う。そう、急流の中からではなく、岸辺から。

世界制覇したと言われたIEのシェアが問題視され、数年間も機能追加されないブラウザへの不満も溜まっていて、そろそろ制作サイドも自分達のやり方を再整理した方が良いという話もチラホラと聞く。

大学は、従来のソフトウェア工学という分野を、言語仕様研究という枠からかなり離れて、使うユーザを直視するような「目」を持ち始めている。Web屋がユーザビリティに目を向け始めたのと同時期に、何に使われるのかどう使われるのかを課題として取上げ始めている。

エンジニアとデザイナのコラボレーション問題も、企業だと「我慢しろ」とか一言で済まされる問題を、大学では真っ向から取上げることもできる。何が理解を妨げるのか、何があれば理解が進むのか。入出力と関数やアルゴリズムの書き方だけを研究しても、「使われるシステム」を正しく構築できないことに、大学は気付き始めている。企業内部の方が目を背けている気さえする。

更に圧倒されたのが、プレゼンだった。「かっこいい~」と思わず口にしてしまうほどのプレゼンを見せられる。勿論全員ではない、それでも際立っている方が何人かいる。難しい単語が並んでいる画面に対して、平易な言葉で会場を沸かせながら、話を進める。大画面を前に舞台の中央まで出てきて、身振り手振りで説明する。見慣れている技術プレゼンとは明らかに異質だ。多分Appleの Jobs CEO もこんな感じなのだろう。

でも極めて高度な技術解説とその進捗状況や適応分野予測を語っている。そして、少し日本人ぽくないプレゼンスタイルを見ながら気がついた。国際会議だ。語る言葉も心なし英語が多い。超一流の国際会議でのプレゼンの場で鍛えられた結果が目の前にあるのだ。

社内外でプレゼンをする機会は少しづつ増えてはいるが、プレゼンスタイルを切磋琢磨する場が多いかというと、そうだとは言えない。同じ層や似通った層の中でのプレゼンだからだ。でも、国際会議などは言わば「他流試合」なのだろう。特定の上司の顔色を見るのとは、次元が異なる。

最近、Webの話をする時に、自分の好きな現場の人間にばかり話してきたのかな、と考え始めてきた。現場と苦労を分かち合い、担当者と喧々諤々の議論をしながら、それでもWebが企業の看板である以上、何かしらの経営戦略と合わせることができない限り、期待できる成果が小さいことを言い続けてきた。でも、多くの場合悔し涙を噛みしめる。

お化粧直しだけでは本質は変わらないし、Webをお化粧直しと思っている間は、ユーザとの距離が縮まらずに効果も出にくい。WebのWebたる所以はユーザとの距離をコントロールできることだと思っている。意思さえあれば、雑誌もTVも飛び越えて対話ができてしまう。それがあるからWebは単なるグラフィックでもサーバ技術でもない。そして離れ難いほどにエキサイティングなのだ。

変わりつつある大学を見ていて(私が今迄固定概念に囚われていただけかもしれないが)、Web屋がデザイン用語ばかり話しても、経営層には届かなくて、結局自分達のやりたいことには到達できないのではないかと考えさせられる。無理してでも話す相手を変えて行かなければいけない時期なのか。

Web屋にマーケティング用語を話せという圧力は近年強くなっている。今は学術的言葉すら、活用できるようになって行っているのかもしれない。学ぶべきことが増えることは、苦しくも楽しい。精進、精進。

以上。/mitsui

ps.
プレゼンがあったのは、東大。一番驚いたのは、フランス料理屋が構内にある。800円から量が少な目の仏蘭西料理。乳母車に赤ん坊を乗せたお母さんが二人、少しリラックスして語り合い、昼間から赤ワインで乾杯する三十路の女性陣。なんだか日本ではないみたい。なんか良いなぁ。